【コメント】
宮入昭平(宮入行平) 刀匠の本名は宮入堅一、大正2年(1913)3月17日生。
長野県埴科郡坂城町に父豊吉の長男として代々の鍛冶屋の家に生まれる。
14歳の頃より、家業の農具や刃物作りに従事し、作刀への憧れを強くする。
昭和7年(1932)、群馬県沼田の鉈作りの名人、星野銀光へ一年間弟子入りする。
昭和12年(1937)、東京市赤坂区氷川町の日本刀鍛錬伝習所(栗原彦三郎昭秀所長)に入門、作刀の修行を始める。
昭和15年(1940)、新作日本刀展覧会で総裁賞を受賞、以後、陸軍軍刀展で多くの賞を受賞する。
昭和20年(1945)、東京で軍刀制作に従事するも空爆が激しくなり坂城に帰り作刀する。
昭和27年(1952)、師栗原彦三郎の呼びかけに応じ、講和記念刀を制作する。
昭和28年(1953)、美術刀剣の製作が許され作刀が可能になり、文化財保護委員会より製作承認を受ける。
昭和30年(1955)、(公)日本美術刀剣保存協会の作刀技術発表会で特賞を受賞し、以後、昭和34年(1959)まで連続して受賞する。
昭和35年(1960)、無鑑査刀匠に認定される。
昭和38年(1963)、50歳の時に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
昭和48年(1973)、ミヨ子夫人の病気回復祈願と作刀の心機一転を期して、「昭平」の刀匠銘を「行平」と改める。
昭和52年(1977)、64歳で逝去。
指導者としても、宮入清宗刀匠、高橋次平刀匠、大久保和平刀匠、渡邊繁平刀匠、河内国平刀匠、藤安将平刀匠、上林恒平刀匠、渡辺惟平匠などの多くの優秀な刀匠を輩出し、宮入一門を超名門一門に築き上げました。
※人間国宝とは
正式には「重要無形文化財保持者」という。文化財保護法に定められ、歴史的、芸術的
に価値が高い無形文化財のなかで特に重要なわざを「重要無形文化財」に指定し、それ
を体得、体現している人を「重要無形文化財保持者」として認定する。俗に人間国宝と いわれています。
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販売価格 (price) 1,000,000(JPY) |