短刀 於東[武]英義□[之] (新々刀 上作)
安政三年五[月]吉日
tantou [toubu ni-oite teruyoshi ANSEI 3] (fujieda tarou teruyoshi)
(sinsintou jou-saku)
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日刀保 特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon |
品番:2310-3046 |
茶石目塗鞘短刀合口拵付き 白鞘入り |
刃長 Blade length(HA-CHOU) | 16.9cm (五寸六分) |
反り Curvature(SORI) | 0cm |
元幅 Width at the hamachi(MOTO-HABA) | 1.90cm |
元重 Thickness at the Moto Kasane | 0.78cm |
茎 | 生ぶ | 国 Country(KUNI)・時代 Period(JIDAI) | 武蔵国 川越:江戸時代後期 安政三年 (1856) musashi kawagoe : The Edo era latter period. ANSEI 3 (1856) |
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登録 |
奈良 第19490号 平成元年7月21日 |
鑑定書 |
公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 平成二十九年三月二十四日 |
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【コメント】
藤枝英義は、通称を繁太郎あるいは太郎作といい、文政六年(一八ニ三)、上野国那波郡川井村(現群馬県佐波郡玉村町)に生まれました。父は刀工玉鱗子英一。
英一は、天保八年(一八三七)ごろ、川越藩藤枝家の名跡を継いで前橋へ、そして川越へと移り住みました。
英義は最初、父英一から鍛刀の技を学び、その後、細川正義の門に入り技に磨きをかけました。初銘は治廣、正義より皆伝を受けた後は、父英一の「英」と師正義の「義」を継いで「英義」と銘を切ります。嘉永四年(一八五一)に英一が没するとその名跡を継ぎ、同六年には藩より刀鍛冶に家業替えを申し付けられて、晴れて川越藩お抱えの刀鍛冶となります。
英義は秘伝書の中で自らの系譜を「手柄山正繁、震鱗子克一、玉鱗子英一、英一二代目英義」と記しています、これは、博学で多くの人に慕われた父である英一を尊敬した為ですが、細川正義門人であると共に手柄山正繁系の刀匠でもありました。
『新刀銘集録』を著した南海太郎朝尊は、英義の腕前を「当今江戸無類の上手也、未だ壮年に付鍛錬妙所に至るの鍛工家なるべし」と賞しています。
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販売済 Sold |
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