日本刀 刀剣のネット販売なら日本刀 刀剣 販売 e-sword イーソード |
詳細画像
槍 肥前国忠吉(初代)(新刀 最上作)(業物)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日刀保 特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon |
品番:1210-4000 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
拵入り |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【コメント】 初代忠吉は元亀三年(1572年)、高木瀬村長瀬(現佐賀県佐賀市高木瀬町大字長瀬)に生まれ、橋本新左衛門と称す。 肥前鍋島藩の抱え工で、慶長元年藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀、宗長は彫技を学んだ。 同三年に帰国し、佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに栄えた。 元和十年、再度上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めた。寛永九年八月十五日に没する。 初代忠吉は制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれる。 初期は「五字忠銘」といって「肥前国忠吉」の銘がほとんどで、秀岸というのは僧侶らしく、この人の書く字を真似て切った癖のある切銘のことを言う。 秀岸銘の後、「肥前国住人忠吉作」と切る「住人忠吉銘」となり、さらに、 晩年は武蔵大掾を受領し名を「忠広」と改め「武蔵大掾藤原忠広」と切る。 息子の近江大掾忠広以下、幕末まで連綿として続く肥前刀の開祖である。 |
販売済 Sold |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||