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薙刀 十九 英義 |
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日刀保 保存刀剣 NBTHK Hozon |
品番:1010-4019 |
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拵付き 白鞘入り | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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【コメント】 藤枝英義は、通称を繁太郎あるいは太郎作といい、文政六年(一八ニ三)、上野国那波郡川井村(現群馬県佐波郡玉村町)に生まれました。父は刀工玉鱗子英一。 英一は、天保八年(一八三七)ごろ、川越藩藤枝家の名跡を継いで前橋へ、そして川越へと移り住みました。 英義は最初、父英一から鍛刀の技を学び、その後、細川正義の門に入り技に磨きをかけました。初銘は治廣、正義より皆伝を受けた後は、父英一の「英」と師正義の「義」を継いで「英義」と銘を切ります。嘉永四年(一八五一)に英一が没するとその名跡を継ぎ、同六年には藩より刀鍛冶に家業替えを申し付けられて、晴れて川越藩お抱えの刀鍛冶となります。 英義は秘伝書の中で自らの系譜を「手柄山正繁、震鱗子克一、玉鱗子英一、英一二代目英義」と記しています、これは、博学で多くの人に慕われた父である英一を尊敬した為ですが、細川正義門人であると共に手柄山正繁系の刀匠でもありました。 『新刀銘集録』を著した南海太郎朝尊は、英義の腕前を「当今江戸無類の上手也、未だ壮年に付鍛錬妙所に至るの鍛工家なるべし」と賞しています。 幕末に開国を求める外国船の脅威に対抗する為、川越藩は江戸湾の防備にあたり、その時に藩命により刀、薙刀をそれぞれ二〇〇振りを制作しました。 当薙刀は「十九」の番号が刻めれていますのでこの一振りと思われます。 ※この拵えは現代の作です。 ※This kosirae is a modern product. |
販売済 Sold |
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