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刀 濃州住藤原永貞作之 (御勝山永貞) (新々刀上々作) |
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日刀保 特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon | 品番:1010-1161 |
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青貝微塵塗鞘打刀拵付き 白鞘入り | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【コメント】 濃州住藤原永貞は美濃国赤坂千手院の末流と云われ、本名を松井治一郎と称し、文化6年、美濃国不破郡(現在の岐阜県垂井町表佐)に松井直三郎の子として生まれた。彼は一時、紀州徳川家の御用鍛冶として紀州に移住したと伝えられ、また万延元年頃には伊勢国田丸においても鍛刀した。その後、江戸青山、松江、京都、で作刀した、明治2年、61歳で没したといわれる。 永貞は幕末の美濃国の最後を飾る幕末の名工の一人として名高く、作風は金筋、砂流しのかかった沸の強い同時代の幕末の名工の一人である清麿風の作品を得意としています。 又、新選組隊士の河合耆三郎の愛刀が永貞の作品です。 ※永貞は御勝山山麓と銘を打つ作品が多く、御勝山とは、表佐村の北に位置する小高い丘で、関ヶ原の戦いの折に徳川家康はこの地に陣屋を定め、全軍の指揮をとったと言われ、時の勝利の意を表してその地を御勝山と名付けたと言われています。永貞はこの地に生まれ鍛刀したことから、御勝山と銘しています。 |
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