日本刀 日本刀 刀 応山高君需 濃州御勝山麓住松井治一郎藤原永貞 みちしばのつゆ (御勝山永貞)
両車截断 慶応二年正月於武州江戸造之(新々刀上々作)
katana [noshu okachiyama no fumoto ju matsui jiichiro fujiwara nagasada michishibanotsuyu](okachiyama nagasada)[ryo_guruma setsudan](sinsintou joujou-saku)
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日刀保 特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon |
品番:1410-1030 |
日本刀剣保存協会 鑑定書 N.T.H.K.
藤代松雄氏 鑑定書
日本刀装具美術館 鑑定書 |
刃長 Blade length(HA-CHOU) | 69.2cm(ニ尺二寸八分) |
反り Curvature(SORI) | 1.5cm |
元幅 Width at the hamachi(MOTO-HABA) | 3.21cm |
元重 Thickness at the Moto Kasane | 0.70cm |
鎬重 | 0.74cm |
先幅 | 2.46cm |
先重 | 0.42cm |
茎 | 生ぶ |
彫物 | 表裏棒樋に添樋 | 国 Country(KUNI)・時代 Period(JIDAI) | 美濃国・江戸時代後期 慶応二年 mino : The Edo era latter period. keiou2(1866) |
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登録 |
東京 昭和47年4月27日 |
鑑定書 |
財団法人 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 平成六年七月二十日
日本刀剣保存協会 鑑定書
藤代松雄氏 鑑定書
日本刀装具美術館 鑑定書 |
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【コメント】
本名を松井治一郎と称し、文化6年(1809年)、美濃国不破郡(現在の岐阜県垂井町表佐)に松井直三郎の子として生まれた。
濃州住藤原永貞は美濃国赤坂千手院の末流で、はじめは赤坂千手院系の刀工に鍛刀を学び、後に独学で鍛法を研究して独自の鍛法を開発した。
彼は一時、紀州徳川家の御用鍛冶として紀州に移住したと伝えられ、また万延元年頃には伊勢国田丸においても鍛刀した。その後、江戸青山、松江、京都、で作刀した、明治2年、61歳で没したといわれる。
永貞は幕末の美濃国の最後を飾る幕末の名工の一人として名高く、作風は金筋、砂流しのかかった沸の強い同時代の幕末の名工の一人である清麿によく似たの作品を得意としています。
又、新選組隊士の河合耆三郎の愛刀が永貞の作品です。
※永貞は御勝山麓と銘を打つ作品が多く、御勝山とは、表佐村の北に位置する小高い丘で、関ヶ原の戦いの折に徳川家康はこの地に陣屋を定め、全軍の指揮をとったと言われ、時の勝利の意を表してその地を御勝山と名付けたと言われています。
永貞はこの地に生まれ鍛刀したことから、御勝山と銘しています。
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販売済 Sold |
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