日本刀 日本刀 刀 会津住兼元(十一代和泉守兼定)
文久二戌年八月日
katana [aizu_ju kanemoto] (11 generations izuminokami kanesada)
|
日刀保 特別保存刀剣
日刀保 保存刀装具(拵え) NBTHK Tokubetsu Hozon(KATANA)
NBTHK Hozon(KOSHIRAE) |
品番:1510-1030 |
黒漆塗波濤蒔絵鞘打刀拵付き 白鞘入り |
刃長 Blade length(HA-CHOU) | 69.9cm(二尺三寸一分) |
反り Curvature(SORI) | 1.6cm |
元幅 Width at the hamachi(MOTO-HABA) | 3.25cm |
元重 Thickness at the Moto Kasane | 0.65cm |
鎬重 | 0.74cm |
先幅 | 2.32cm |
先重 | 0.48cm |
茎 | 生ぶ | 青貝微塵塗鞘打刀拵
揃金具 雲雨龍図 無銘
鍔 雲波双雨龍図 無銘
目貫 雨龍図
柄 白鮫着 白蛇腹系組上巻 | 国 Country(KUNI)・時代 Period(JIDAI) | 岩代国会津・江戸時代後期 文久二戌年 Iwashiro aidu : The Edo era latter period. BUNKYU2(1862) |
|
登録 |
東京 116067号 昭和38年7月25日 |
鑑定書 |
財団法人 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 平成二十六年八月十四日
財団法人 日本美術刀剣保存協会 保存刀装具鑑定書(拵え) 平成二十六年七月一日 |
|
【コメント】
十一代兼定は天保8年12月13目、現在の会津若松市浄光寺町一番地に生まれ、幼名を友哉と称した。
14才の時から父:十代兼定について鍛法を学び、初銘を兼元と切る。
文久2年、会津藩主:松平容保公が京都守護職に任命されると、翌文久3年、幼名を清右衛門と改め、京都に上がり修業しつつ、
和泉守を受領し、慶応元年に会津に帰る。
受領後、刀銘は和泉守兼定と切る。
新選組隊士の為に作刀したのはこの頃であり、副長:土方歳三の佩刀は慶応三年紀のもので、現在も東京日野市の生家に伝わっている。
明治36年、67才にて没する。
会津兼定は、室町期の濃州関兼定の三代目にあたる孫を古川孫一郎または孫四郎といい、
慶長年間に会津藩主:蒲生氏郷の鍛冶となり、奥州兼定の初代となる。
以後、古川兼定家は会津における最も古い刀工の家柄となり、幕末まで刀鍛冶として連錦と続いた。
三善長道、松軒元興らと共に会津を代表する刀工であり、十一代和泉守兼定はその最後を飾る良工である。
|
販売済 Sold |
|
|